公開日 2009年06月01日
更新日 2015年02月19日
大賞
河辺の家
高田 昭子
写真の家の南側には
五つの大きな二重窓が並んでいた
凍結を解かれたスンガリー河が
音をたてて流れる つかのまの夏
若かった母がその窓を開けると
朝のまぶしい光とかわいた風が
父と私のまわりをめぐったのだろうか
占領者の子として そこに産まれ
敗戦国の子として そこを追われた
その家は いつも
わたしの記憶の届かないところに佇んでいた
おだやかに川の流れる町が
やがてわたしたちの住処となった
重い雨戸を戸袋にしまいおえると
戦後の貧しい朝が訪れた
すもも つるばら ほおづき みょうが
板塀に張りついた蝉のぬけがら
ラジオ 卓袱台の上の薬びん
点在する記憶をたぐってゆくと
夏風邪をひいた小さなわたしが眠っている
水仕事のあとの母の手が
時折わたしのまどろみのなかにさし入れられ
そして立ち去っていった
夕暮れると父は鳴かない鈴虫を連れて帰った
一九九五年 晩夏
川辺の古い家
わたしのとととのえた夕餉は
老いた父と母の
口腔の奥にあるふるさとに届かない
食べ残しの多い食卓をかたづけて
小さな軽いちゃわんを洗うとき
窓の外はすっかり闇夜
わたしのうしろのわたしの子供たちよ
わたしの前にはもう誰もいません
父と母は小さな私も 写真の家もすり抜けて
それぞれのふるさとへ
帰ってまどろみはじめました