公開日 2024年04月01日
更新日 2024年04月01日
永明寺古墳(ようめいじこふん)
「古墳(こふん)」とは、土(つち)をもったむかしのおはかのことです。村君(むらきみ)にある永明寺古墳(ようめいじこふん)は地(ち)いきのけんりょくしゃのおはかであるとかんがえられます。
古墳(こふん)にはさまざまな形(かたち)があります。ま上(うえ)から見(み)ると永明寺古墳(ようめいじこふん)は丸(まる)と四角(しかく)をくみあわせた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という形(かたち)です。長(なが)さは78メートル、高(たか)さは7メートルあります。
たくさんの土(つち)をもっておはかをつくるために、たくさんの人(ひと)びとがはたらいていたとおもわれます。
じっさいの古墳(こふん)をみると、その大(おお)きさがよくわかります。
ま上(うえ)から見(み)た永明寺古墳(ようめいじこふん)
(左(ひだり)が四角(しかく)、右(みぎ)が円形(えんけい))
「村君(むらきみ)」の古墳(こふん)じだい
「村君(むらきみ)」という名まえは、「邑(むら)」:人(ひと)があつまる 「君(きみ)」:みぶんが高(たか)い といういみがあります。
はっくつちょうさから、とね川(がわ)ぞいに人(ひと)びとがすんでいたあとや、どうぐがのこっていました。そのことから村君(むらきみ)の古墳(こふん)じだい(約(やく)1,500年前(ねんまえ))は、みぶんの高(たか)い人(ひと)のおはかである「永明寺古墳(ようめいじこふん)」のまわりに人(ひと)びとがすんでいたすがたがイメージできます。
永明寺古墳(ようめじこふん)とそのまわり
(上(うえ)がとね川(がわ)、右(みぎ)が村君(むらきみ)小学校(しょうがっこう))