公開日 2023年11月20日
更新日 2024年11月08日
お知らせ
気まぐれ散歩in村君古墳群を開催しました。
令和5年11月5日に「気まぐれ散歩in村君古墳群」を開催し、市内外から17名が参加をしました。参加者は市職員の案内で村君公民館をスタートし、永明寺古墳をはじめとした下村君地区内の古墳を歩き、古墳を見学するポイントを聞いていました。最後に参加者は村君公民館内で永明寺古墳から出土した遺物の説明を聞いた後、埴輪などの遺物を手に取って古墳時代のロマンを感じていました。
永明寺古墳(埼玉県指定史跡)
(指定年月日:平成27年3月13日)
永明寺古墳は、埼玉県羽生市大字下村君にある前方後円墳です。県内北東部、利根川近くにあり、当時の国境付近につくられた古墳として学術的にも注目されている古墳です。墳丘の大きさは、長さ約78m、幅約42m、高さ約7mと、埼玉県内で確認されている前方後円墳の中でも10番目の規模を誇ります。また、近年の発掘調査で、幅20~30m、深さ約2.5mの大きさの濠が古墳を巡っていることがわかりました。
出土遺物
昭和6年(1931)、後円部頂上部が発掘され、衝角付冑(しょうかくつきかぶと)や小札甲(こざねよろい)、大刀などの武具や轡(くつわ)などの馬具、鉄製鋸(のこぎり)といった金属製品が出土しました(平成23年3月18日市指定文化財、埼玉県立歴史と民俗の博物館寄託)。近年の発掘調査では、周濠から円筒埴輪などが出土しています。
永明寺古墳が造られた時期は、墳丘直下に、西暦497年前後に降灰した火山灰(榛名二ツ岳渋川テフラ)が堆積してることから、5世紀末から6世紀初頭(古墳時代中期終わりから後期初め)と考えられます。しかし、出土した武具や馬具は、6世紀中ごろから後半につくられた品物であることが推定されており、永明寺古墳がつくられた時期とはやや差がみられます。もしかしたら、最初に葬られた人はまだ副葬品とともに永明寺古墳の中に眠っているのかもしれません。
現在、史跡内は、私有地となっていますが、古墳は自由に見学できます。ただし、寺院の敷地の中にありますので、参拝者等に迷惑にならないよう気をつけて見学してください。
永明寺古墳パンフレット
(訂正)2ページ1行目 (誤)文殊堂 → (正)薬師堂 ※現在は修正済みです
永明寺古墳を歩いてみよう
永明寺古墳を見どころをまとめたパンフレットです。パンフレットを見て永明寺古墳を歩いてみよう。
永明寺古墳保存活用計画(改訂版)
古墳の適切な保護のため、専門家や古墳が所在する地域の方々の意見をお聞きして、史跡の価値を示し、今後の保存と活用の方針について令和2年5月に定めました。その後、令和4年3月に一部改訂しています。
【関連文献】
松村勝1932『埼玉史談』第3巻第3号 埼玉郷土會
栗原文蔵・塩野博1969「埼玉県羽生市永明寺古墳について」『上代文化』第38輯 國學院大學考古学会
関義則・宮代栄一1988「県内出土の古墳時代の馬具」『埼玉県立博物館紀要』14 埼玉県立博物館
瀧瀬芳之・野中仁1996「埼玉県内の出土象嵌遺物の研究-埼玉県の象嵌装大刀-」『研究紀要』財団法人埼玉県埋蔵文化財事業団
羽生市教育委員会2017『永明寺古墳-保存目的の範囲確認調査-』
羽生市教育委員会2017『永明寺古墳とその時代-武蔵国村君の大古墳-』展示図録
WELCOME TO YOMEIJI-TEMPLE-ANCIENT-BURIAL-MOUND(ようこそ永明寺古墳へ)
This is an explanation material about YOMEIJI-TEMPLE-ANCIENT-BURIAL-MOUND in English.
(永明寺古墳について英語での説明資料です)
地図
永明寺古墳の位置
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